顧慮を忘れた場所


 
 
空を見上げた。
頭の上を覆うそれはインクで塗りつぶしたような漆黒だったが、不思議と暗いとは感じない。
常世と言うに相応しい闇の中でも、彼らは全てを見通す事が出来たからだ。 
きっと、彼らでなくてもそうだろうが。
 
大気のないこの星では、常に頭上に幾千万の星が輝いていた。
それらはまるで凍らせてしまったように、瞬きを忘れてそこにいる。
遮る空気がないせいで、近くにあるものは模様まではっきりと見る事が出来た。
 
青い空を最後に見たのはいつだったか。
彼がいる此の場所とあそことの決定的な違いは「向こう側」を見ることのできない色付きの空くらいだろう。
街の喧噪はまるで掘削機の叫び声のようだし、人間たちの営みの明かりは、ところどころにあるベースの明かりとそう変わらない。
片手で数えられるだけしか見たことのないものに郷愁を覚えるのも可笑しいが、彼の中ではあの空こそが故郷の象徴だった。
 
故郷には朝と夜があり、時間の経過とともに空が色をつけた。
どこまでも深い藍色が段々と薄墨に変わり、朱になり、輝く黄色、そうして突き抜けるような青になる。
青は段々と朱に染まり、紺を経て、また深い夜の色に戻る。 
夜闇の中では、街灯とは違う柔らかい光を持った月と、いくらかの星がぼんやりと瞬いた。
今はメモリの一番深いところに沈んでしまっていた記憶だったが、彼はそれを昨日のことのようにはっきりと思い出した。
色とりどりの記憶の場所は、彼が唯一持つ宝物だった。
この変り映えのしない世界に比べたら、あそこはどれほど素晴らしい場所だろう。
 
 
彼は再び空を仰ぎ見た。
広がるのは、どこまでも暗い星の海。
地上に視線を移せば、岩山と深い渓、赤茶けた大地が地平線まで続いていた。
先ほどまで窮屈な場所で作業をしていた為か、彼にはこの景色が恐ろしく広く感じられた。
 
この茫漠な惑星を隅々まで踏査するには、一体どれだけかかるのだろうか。
きっと、途方もない時間が要るのだろう……。
彼にはそれが、悲しいとも、苦しいとも、怖いとも思えなかった。
ただ、もう一度だけあの空の移ろいを見たいと思った。
 
 
彼は、蛇を模したヘルメットにこびり付いた土を払い落すと、彼自身の数倍以上はある平岩の上に寝転がった。
そうして、サーチライトを何度かチカチカさせ、あくびをする。
 
退屈さに任せて目を閉じると、星や人工の光すらない暗闇が彼を包んだ。



 



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顧慮を忘れた場所 

宇宙開発ロボットは、造られた後いくらかの試験を経て宇宙に送られるのだろうと思う。
彼らは地球の景色なんてほとんど見る余裕すらも与えられないまま、文明のない未知の惑星の調査に力を尽くします。

もしまともな「人格」があったら、いきなり何もない星に送り込まれてどう感じるでしょうか。
普通の人間だったら、発狂さえしてもおかしくないのに。きっと、仲間がいる事は大きな救いでしょうが。

人格を持つロボットを作り、人間の代わりにこんな場所に送るなんて残酷な事を、人間はきっと平気でするんでしょうね。




 

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2008.10.26 仮想と妄想の狭間。クロ.. c

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