顧慮を忘れた場所


 
 
人工知能というものは、人間のそれと同様にとても繊細なもの。
ほんの一欠けら塵や髪の毛よりも細い繊維、一瞬触れただけの汚れの為に、デリケートな回路は変化を来す。
一度思想が安定してしまえば少しの変化など問題にならないだろうが、無垢な思考回路は特にその影響を受ける。
少しの電圧の変化、少しの抵抗の変化、それらの要素が複雑に重なり合って、思考に微妙なずれが生じるのだ。
それは誤差というには余りに些細で、ほとんどの場合問題として捉えられるどころか、気に留められる事もない。
しかし、その微妙な「違い」こそが、個体としての思考に影響を与え、ロボットの個性を作っている。
同じ材料を使い、同じ場所で、同じ時間に作られたロボットでも、すべての思考回路や言動までトレースしたように全く同じにならないのはその為である。
 
同じ人工知能を搭載していても、作られた環境下が異なれば全く同じ思考を持つ者には成り得ない。
造られたロボット達の中には、何か一つのものへの感受性が高い者が生まれる事もそう少ないことでは無かった。
芸術であったり、嗜好であったり、それは彼らの個別性を表す指標ともなる。
 
地球の軌道を廻る衛星。
この衛星基地は数年前に打ち上げられ、現在は使われることのなくなった物だった。
しかし、だからと言ってすべての機能が停止しているわけでは無い。
どこまでも新しいものを求める人間たちは、最新鋭の設備を搭載した新たな衛星の打ち上げと共に、まだ寿命を迎えていないこの衛星を放棄したのだ。
機能的に生きたまま打ち捨てられたこの場所を完全に修復し、主の為に使用可能な状態にすることが彼の役割だった。
 
無機質な金属造りの部屋。
飾り気の全くないその部屋の窓から、彼は外を目をやる。
まるで浅い夜の海にばら撒いた宝石を、そのまま氷漬けにしてしまったかのような宇宙が広がっていた。
紅、青、白。色とりどりの星に、一際暗い宇宙塵、肉眼では捉える事の出来ない遠い銀河。
この星の海には、それら全てが散らばっているのだ。
自分の名前の元となった美しい星達に酔いしれるように、彼はうっとりと窓に指を添わせた。
しかし、しばらくして小さくため息をつくと、すっと指を離す。
 
宇宙空間にいる限り、美しく輝く星達の瞬きを見ることはできない。
そう思うと、ここから見える満天の星空も、つまらなく味気ないようなものにさえ思えてしまう。
地球から見る夜空にこれほどの星はないだろう。
しかし、そこには瞬く光も、星座の囁きもある。
 
先行の兄弟たちがこれまで獲得した「知」を詰め込んだ精巧な彼の人工知能。
彼はそこから、美意識の高いロボットとしての人格を得た。
そんな彼は、地球に、美しいすべての風景に思いを馳せ、再びため息をつく。
そうして、未だ見ぬ運命の相手のことを想う。
 
どこまでも静かな宇宙に漂う衛星の中で。
ここには彼の好きなオペラも、ミュージカルもない。
それどころか、娯楽もなければ、趣味を楽しむだけの時間も与えられていない。
 
眺めれば、完成を間近にした基地。
この任務が終われば、愛する地球は自身を迎えてくれるだろうか。
そんなことを考えながら、彼は他の窓に視線を移した。
そこには、まん丸い瑠璃を思わせる地球が、窓いっぱいに広がっていた。
地球の周りを廻る衛星だからこそ見る事の出来る贅沢な景色だった。
 
白く渦巻く雲の下にあるのは、きっと彼の生まれた場所だろう。
どこからか、彼を探す部下の声が聞こえた。
それを少し疎ましく思ったが、彼は仕事のことを思い出して立ち上がる。
 
全てが終わったら、この地球で自分の為だけに時間を使おう。
 
彼は上機嫌に星々を仰ぐ。
そうして、お気に入りの古いオペラのワンフレーズを口ずさんだ。



 



_____________________________________________________________________________________

 
顧慮を忘れた場所 

ロボットの思考回路について。
スターマンは2のナンバーズよりも後の機体だから、
彼らよりももっと人間に近い思考回路と感覚を持っているはず。



 

感想・誤植指摘・苦情等はこちらから(拍手)





diary log

2008.12.07 仮想と妄想の狭間。クロ.. c

inserted by FC2 system